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石彫刻

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【石仏】日本における石仏の歴史

石仏の歴史をたどると、その造形の変化の背後には、時代ごとの社会状況や信仰のあり方が色濃く反映されていることがわかります。大陸から伝えられた仏教文化を礎に、日本独自の美意識と民間信仰が重なり合い、石仏は地域や時代ごとに多様な姿を見せてきました。ここでは、古代から近世に至るまでの石仏の歩みを、時代ごとに振り返っていきます。

大陸からの文化の伝来

仏教の発祥地・インドにおいては、1世紀頃より石仏彫刻が行われていました。それらはガンダーラ美術として知られています。断崖の岩層に石仏を彫って信仰の対象とする文化は、中国、朝鮮へと伝わり、多数の磨崖仏が製作されました。
日本において、石仏について著した最古の文献は『日本書紀』。百済から石仏が伝来し、礼拝していたことが記されています(ただし、その当初の石仏は見つかっていません)。

飛鳥時代

仏教伝来直後の石仏は未だ発見されていません。しかし、大和飛鳥地方に「猿石」と呼ばれる、猿のように見える花崗岩製の石造が見つかっています。仏教とは関係がないようですが、当時の日本人が彫刻するとしたら凝灰岩を用いたはずであるため、渡来人たちの信仰遺品ではないかと言われています。

奈良時代~平安時代

日本最古の石仏は、奈良時代前期と推定される石位寺三尊石仏です。砂岩を用いた半肉彫りで、大陸の文化の影響を感じさせる作風です。その他、飯降磨崖仏や滝寺磨崖仏など奈良県において多数彫刻されました。
平安時代になると、磨崖仏の製作が大規模に行われるようになります。まさに、磨崖仏の黄金期と言えるでしょう。磨崖仏の造立が盛んだったことから、奈良近辺だけでなく、近江・豊後・越中など様々な地において造立されます。有名な大分の臼杵磨崖仏や、京都府の笠智山虚空蔵石磨崖仏もこの時代に造立されました。
凝灰岩や砂岩など、彫刻しやすい石材を用いることも引き続きありましたが、後期になると花崗岩などの硬質の石材を多用しました。平安時代の石仏はそれぞれに強い個性があり、表現手法も自由でのびのびとしているのが特徴です。

鎌倉時代~南北朝時代

鎌倉時代は、石仏の製作が大衆的に流行した時代でした。石仏の造立の施主は元々は中流階級でしたが、中世末から庶民にも広がっていきました。民間信仰と結びつき、弥陀や地蔵、観音など、至る所で製作されました。技法においては、凝灰岩の使用が減り、花崗岩・安山岩といった硬質の石材を用いて、厚肉彫を施すことが一般的となりました。花崗岩など手間がかかる石材の使用率の増加に比例し、磨崖仏の大きさは以前と比べ、小規模になりました。また、この時代から丸彫石仏も作られはじめました。
南北朝時代においては、鎌倉時代の作風を残しつつも、迫力は次第に失われていきます。

室町時代

室町時代に入ると、石仏の作風は形式的になっていきます。大きさは小さくなっていきますが、室町時代に丁寧に彫られた石仏も、数多く現存しています。また民間信仰の興隆に伴い、多くの地蔵像が製作された時期でもありました。

桃山時代~江戸時代

一般的に、この時期に製作された石造美術品はあまり良い評価を受けないことも多いのですが、石彫技術の進化と伴に、細工が綺麗に施された石仏も作られました。江戸を中心とする関東においては、民間信仰(庚申信仰など)とも交ざりあい、造形的に面白い石仏も製作されました。

 

石仏は、単なる石の彫刻ではなく、人々の祈りや願いが宿る存在として、長い時代を生き続けてきました。その形や表現は時代ごとに変化しながらも、石に心を託すという思いは変わることなく受け継がれています。
現代に残された数々の石仏は、歴史を物語る貴重な文化財であると同時に、私たちの心に静かな安らぎを与えてくれる存在でもあります。石仏の歩みを知ることは、過去の人々の信仰に触れるとともに、今日を生きる私たち自身の祈りや想いを見つめ直すきっかけとなるでしょう。

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