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石彫刻

石彫刻
北野天満宮 石茂型狛犬

石造美術について

石造美術とは何か

「石造美術」という言葉は、石灯篭や石仏など石を材料とした彫刻品の研究者・川勝政太郎先生の大著『石造美術』に由来します。川勝先生は「石造美術」について次のように定義しています。

石を材料として造られた美術的遺品、歴史考古学的遺品を広く含む。ただし石器時代の石製品や古墳の石棺は除き、主に飛鳥時代以降、江戸時代に至るまでの石造遺品に限る。

この中には、人工的な形をしたものだけでなく、自然石に仏を線彫りしたものや、また木造建築物に付随して造られた石壇や露盤、台座なども含まれます。

飛鳥時代以降となると、538年に百済より仏教が伝わり、596年に蘇我馬子が発願して日本最古の寺院建築・飛鳥寺が創建されたころからの石造品になると思われます。

 

石造美術の宝庫―京都・奈良・滋賀

「石造美術」は、今でも私たちの身近に数多く存在します。
特に京都とその周辺エリアは神社仏閣が多く、専門書を見なければ目の前の石仏や五輪塔が重要文化財であると気づかないことも少なくありません。そんな“路傍の石”ともいえる石の創作物に敬意を表し、「石造美術」という括弧でくくりながら、個々の特徴などを別項で紹介します。

国指定文化財等データベースによると、石燈篭重要文化財一覧32点のうち、京都9点、奈良10点、滋賀8点、合計27点がこの地域に集中していました。実に全体の84%を占めますその他、石仏の重文・史跡・国宝一覧や、宝塔・多宝塔重要文化財一覧、五輪塔重要文化財一覧を見ても、シリーズ全体の半数以上が、この1府2県で占められています。

仏教伝来以降に奈良、京都、滋賀エリアを中心に、幾度も遷都を繰り返しながら平城京・平安京という大きな「仏の都」が築かれた歴史を思えば、こうした集中も自然なことだといえるでしょう。

石造美術の魅力

石造美術の魅力は大きく、三つにわけられます。

1. 人の手による温もり

もちろん木彫りの仏様や、仏壇仏具も「人の手で造られた」ものです。特に広隆寺の「木造弥勒菩薩半跏像」や、運慶・快慶の「東大寺南大門金剛力士像」をはじめ、多くの素晴らしい木像作品が見られます。また昨今の仏像ブームもあり、多くの方に京都にも足を運んでいただいております。しかし、石仏や灯篭、狛犬などの石造品はあまり注目されません。木に比べて、硬くて重い素材をコツコツと手で彫り、博物館で飾られることもなく、造った作者さえほとんど知られることはありません。しかし、そこに刻まれたノミの一振りごとに造る人の想いやぬくもりを感じます。

 

2. 独特の造形美

特に古代型五輪塔や多宝塔などの石碑、石灯篭などは、どっしりとした安定感やむっくりとした素朴な趣きがあります。どこか現代人にはない感覚や時間の捉え方によって造られたようで、不思議な造形美を感じます。石仏は長年の風雨で表面が丸みを帯び、自然と時間が加わることで独特の魅力を持つようになります。人の造ったものに、自然と時間の力が加わったからこそできた形であり、野外に在るからこその、メイキングとも言えます。

 

3. 失われてゆく技と高まる希少性

現在でも、灯篭や石仏・古代型五輪塔や多宝塔を造る石工は各地におります。
しかし国産石材の産地は、中国など安価な輸入材に押されてしまい、まだ産出が可能なのに閉山を余儀なくされることも多くなっています。その結果、国内の優れた多くの石工が活躍できる場を無くしているのです。需要の減少は後継者不足にもつながり、石造品の技術や伝統は少しずつ失われています。
日本人がコツコツと手で造ってきた石造品の技術や伝統・文化が少しずつ確実に姿を消しつつあり、その価値はますます希少なものとなっているのです。

石造美術の未来へ

「石造美術」が数多く造られたのは、仏教が隆盛した鎌倉時代でした。この時に、石工の加工技術や道具も進歩し、仏教がさまざまな宗派を生み、貴族階級から武家、庶民へと信仰の輪が広まった時代だからこそ、石造品にも多くの需要があったと言えます。
京都、奈良、滋賀のエリアでは、身近に多くの模範(本歌)となる素晴らしい石造美術に出会うことができます。さらに私たちは長年にわたり京都だけでなく、岡崎・庵治・出雲と各地の技術の高い石工の皆さまと協力関係を築かせていただいております。
このような環境に恵まれた私たちは、「京都の石屋」として少しでも日本人の手による素晴らしい石造美術を世に送りだし、後世に遺すお手伝いをしていきたいと心から願っております。

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